ゾーン

「ゾーンに入る」とは、交感神経と副交感神経のバランスが非常に良い時に起きるのだと、こないだの「ホンマでっかTV」のなんとかいう先生が言われていた。

 

そして、その自律神経を整えるのには、笑ったり、楽しかったことを思い出すのが良いそうな。

 

嫌なことを思い出すと、そっちのモードに心身が変わるというのは、確かにそんな感じがする。

非常にショッキングな事柄に遭遇してしまうと、それがトラウマのように事ある毎に脳裏に蘇り、もう過ぎた過去なのにもかかわらず、またそれを心のなかで自己再生させてしまうという経験を持つ人も少なくはないだろう。

 

笑いが良いというのもうなずける。

子供の頃、身内にアホな大人が多過ぎて気に病む事も少なくなかったが、吉本新喜劇漫才ブームや、「じゃりン子チエ」にどれほど救われたことか。

関西に生まれ育ってなかったら、こうは行かなかったかも知れない。

 

 

さて、私が最後にゾーンに入ったのは何時だったか。

少なくとも、ここ二十年は入ってないな。

ゾーンに入るどころか、この数年は体のあちこち崩してばかりいるし。。。

 

車の音も、人の声も聞こえない山の中でボーっとして自律神経を休めたいものだ。

 

あ、でも、いまやクマもイノシシも出る危険地帯なんだった。。。

 

 

水抜いて一年経ってなかった

この頃耳にタコが出来るほど聞く、この国の人口減少の件だけど...

 

そもそもが、無理矢理に「産めよ増やせよ」で増やした人口バブルがそのうち弾けるのは目に見えてたのに放置してたら元に戻っただけ、という気がする。

 

だいたい、頭数増やしたら税収上がって万々歳と安直に考えて良いのやら、とも思うがな。

昭和の時代の価値観とは色々大幅に世界レベルで変わってきているというシビアな事実を棚上げして。

人間の数が増えれば増えるほど、争いも増すのがこの憂き世の常ですがな。

 

 

 

ところで、私は「産めよ増やせよ」というのは戦時中の事だと思っていた。

 

が、生まれも育ちもド田舎のうちの爺のハナシによれば、戦後も田舎じゃそうだったらしい。

 

驚きっ!

 

戦時中、内じゃ憲兵の悪行に苦しめられ、戦地に行けば尚更酷い目にあい、そんなこんなで、お上の言う事をそのまま聞くなど、阿呆...

という意識が、保守層の中にさえ一定ある街で生まれ育った私からすれば、「ありえへん世界」なのだった。

 

 

ただ、若者の数が極端に少なく還暦でも「若者」扱いされるこの田舎で、学校に通う子ども達にとっては、体育で出来る競技も限られてくるので、少しかわいそうにも思える。

 

ソフトボールも野球もサッカーも、人数要るからなあ。

 

「チーム一丸となって」プレーする楽しさって、味あわせてあげたいよなあ。

 

吉田義男阪神監督のあの口ぐせも、人数いなきゃあ、どういう意味かも分からんものなあ。

 

なんなら、ワテが頭数に入ろかしら?

 

 

あかん。忘れてた。膝に爆弾が。。。

 

「洞窟おじさん」の話をしたら聞けた話を歌に

歌ともいえない歌になってしまったけれど...

 

自分の体験でもないけれど...

 

投稿して残しておこうと思う時がある。

 

先の25日のうたの日、「子」というお題がそうだった。

 

おそらく、話をしてくれた人の年齢からして、戦後まだ日本が貧しかった頃の事なんだろうと思う。

 

世の中が貧しかろうが豊かだろうが、何かと発信することもままならぬ弱き者にしわ寄せが行くものだ。

 

人の世とは、からきものなり。