俳句は鑑賞するばっかりで作ったりしない私だが、ある日の「プレバト」に注目した。
志らく師匠の「門付け」という単語の入った俳句、そして、それを夏井いつき先生が添削された後の俳句が放送されていたのを。
「門付け」という単語、私の年代では、もう知る人は少ないだろう。
まして、私の世代であるバブル世代より若い人達となると、全く分からないかも。
私には「門付け」と言うと、瞽女の門付けを描いた斎藤真一さんの油絵が思い出されるのだが...
田舎の団塊世代の人に聞くと、それを子供の頃に実際見たことがあると言うが、バブル世代になると世の中変わったのか、見たという人は無くなる。
日本の古典芸能で、宗教的意味合いも元来持っていた日本文化の一つの「門付け」。
落語家で勉強熱心な志らく師匠は、流石にご存知で、この「門付け」という語を使って俳句を作られた。
でも、志らく師匠のオリジナルの句には少し無理があって、そこを先生が上手に改善されて出来たのが以下...
「門付けの母よ真昼を鳴く蚯蚓」
芸人である母親が門付けをするのを遠くから見ている子供の視点からの句。
蚯蚓が鳴くのは夜だそうで、昼間の光景を思い出して鳴(泣)いているのだろう。
渋くて切ない俳句だ。
ところで、蚯蚓が鳴くなんて、一体誰が最初に言い出したのだろうか?
無邪気な子供の発想のようで、面白い。
でも、まだ蓑虫の方が鳴きそうな気がするのだけど。
(子供の頃に聞いたよ〜な記憶が。。。)
秋に蚯蚓が、春に亀が鳴く俳句の季語の世界は、子どもの世界に似ているな。