「不幸な境遇にあるのは己のせいである」というような事を、どこの宗教団体も言いがちだ。
たしかに、何でも他者のせいにするのは、逆に己の心を苛むばかりになりがちではある。
しかし、「みな自分のせい」とすると、責任取るべき所に逃げ切れる口実を与える事にもなる。
もしかすると、そういう言い回しが古今東西あるのは、そこが狙いなんじゃないかとも思えてくる。
(いじわるかしら?)
聖職者によるセクハラ事件が近年よく取り沙汰されるようになった。
なんでも己のせいにしてしまうと、加害者たる聖職者ではなく、被害者である信者が、妙に信仰深いばかりに、自分に行われた犯罪を「己のせい」と錯覚しかねない「仕掛け」にもなりはしないか。
加害者を逃がす為のマインドコントロールに。
私は無神論者ではないし、神社仏閣教会にも行ったりしてきたが...
どうも宗教団体には分からぬ闇の部分がある。
神だの仏だの言った所で、生身の欲深い人間(信者にせよ、聖職者にせよ)が大勢で作る団体だから、およそ美しいものではなくなるのが普通だとは思うのだが...
(って、言い過ぎかしら?
これでバチを当てるような了見の狭い神仏なら...
こっちから、ばいちゃ!)
恐るべきは人間のさがだわよ。
そうだ、長いこと行ってないなぁ。
やっぱり、お寺は、奈良よねぇ。
♫ 京都じゃないのよ お寺は、ハッハ〜