少子高齢化対策がいろいろ言われるけど...
今いる子どもたちのことも、ろくすっぽ考えられないのに、なにを言っているのか?
...と思わんでもない。
クラスに占めるヤングケアラーの割合は、私の学生の頃とあまり変わらないし。
宗教2世の問題も、ずーっと前からあったし。
今問題になってるのは旧統一教会だが、それだけじゃないし。
(週刊ポストにネタ売りたいわ。買いまへん?)
大学の学費高過ぎ問題も以前から。
生まれてきても、先天的であれ後天的であれ、難しい病を抱える場合もある。
不治の病で成人しても、ずっと病と付き合いながら生きていかねばならないこともある。
子供を増やして人口増加させれば税収上がって万々歳...ではないのだ。
豊かさも、ある時点を超えると、求められる行政サービスやらも変化する。
昭和の時代なら無視されるのが普通であったけど、今じゃそれはNGよ...
なんてのは、ざらにあるじゃないか。
政治家やら役人やら、皆が皆、己がエラくなること、金儲けばかり考えてる人たち...とは考えたくないが、これほど進歩無いと、いろいろ疑いたくもなる。
あ、いや、ちょっと愚痴ってみたくなっただけさ。
子供の頃から長患いしていた知り合いの青年が亡くなって。
病を苦にした自殺だった。
自殺した者は救われないとする宗教って多いと感じるが、何を根拠に言うのだろう?
宗教が生き延びる為には、国家権力と上手く付き合わなければならないから...
自殺されると、税収が減ったり、国軍兵の数が減るからだろうか?
自分で「死のう」と思って、いざとりかかっても、根深い生存本能から諦めるというより、積極的に生きようとしてしまうのが通常だと思う。
本当に死んでしまえるのは、よほどのことだ。
とりあえず、現実の肉体による苦しみから逃れられて、その青年も、やっと少しはホッとしているのではないかと、今、私は思いたい。
こんな阿呆な俗世への未練なんぞ...
サラッと殻を脱ぎ捨てて行っちまいやがった。
さて、自分がやってきたことと言えば...
彼が生きていた頃は、なんとか自殺を諦めさせようと、いろいろ工夫して接したけど、それって、とどのつまりは、敗北感を味わいたくない自分の為だったのだろうか?
よく分からないが...
今、もし別の自死願望ある人が目の前に現れたとしたら、やはり死なせないように無駄でもやってみるかもな。
なんなんだろうな、この感じは。