自分軸

11月18日の朝日新聞beの「Reライフ」に、臨床心理士の方による「大切にしたいものはなんだろう」という記事が目に止まった。

 

自分の人生を振り返って中途半端に思えて悩む「中年の危機」を乗り越えるには、思考の整理として、自分が大切にしたいものを明確化し、判断基準をブレさせなくする「自分軸」を見つけるのが大事らしい。

 

その自分軸の見つけ方が紹介されていて、抜粋したものが以下。

 

1、「なりたい自分」を領域に分けて書き出す。健康、金銭、仕事、人間関係など1年から3年先をイメージして言語化する。

 

2、スマートフォンなどで撮影した写真、雑誌の写真などでピンときたものを集める。

 

3、身近な人間の「ああなりたい人」「ああなりたくない人」3人ずつ挙げてみる。

 

4、SNSのフォロー一覧やブックマーク一覧を見る。

 

 

 

 

さて、個人的には子供の頃から「自分軸」が明確で、そこからブレるのが嫌で苦労してきた。

 

今盛んに取り上げられる「ジャニーズ問題」で、見てみぬふりをしてきた者たちの責任も時に言われるが、私は逆に「見て見ぬふり」が出来ずに常に貧乏くじを引いてきたタイプである。

(もし私が美少年でジャニーズにいたら、社長に食ってかかって即刻クビになってるだろうな。。。)

 

中学時代は、校内暴力全盛期で、教師の前でリンチが行われ、それを教師が止めるどころか笑って見ているというありさまだったし、高校時代は、教師による女生徒へのセクハラがあり、私は被害にあわなかったが、友達があっていた。

社会に出て働き始めても、やはり人間社会の中では何かと問題はあるわけで...

 

その度毎に見て見ぬふりが出来ず、何らかのアクションを起こしては、時に上手くいったりもしたが、大抵は暗に陽に圧力を受け、抗い損に終わるということの繰り返し。

 

身近な人で、ああなりたい憧れの人は、いざという時には、ほぼ100%ああなりたくはない人にへ〜んしん!... するというのは、何度も何度も学習済み。

 

だから、今じゃ「ああなりたい人」は皆無となっている。

 

 

否、これが、きっと「年相応」というものなのだろうけど。。。

 

年をとる毎に、夢や幻想って消えて行くのよねぇ。

 

最後に残るものは、さて、何かしらね?

 

 

でも、これも年のせいだろうか。

この頃、やたら「夢を諦めるな」とか「努力は報われる」系が不自然なほどに押し付けがましく映る。

様々な事情で、そのレベルに無い人が今多いのだろうと感じるから尚更。

 

何かキラキラした「なりたい自分」を追わなきゃいけない強迫観念みたいなものに振り回される人も多くいるのだよな。

 

ネットとスマホの普及の悪影響だろうか。

 

 

『そこまでキラキラしたものを追わなくても、十分幸せに生きていけるものを君は生まれながらに持ってるじゃないか』って、思える若者までが、憑かれたように...

 

ネットやスマホは便利だけれど、完全に道具に振り回されて、おかしくなっている人は、今の時代多過ぎるのかもしれない。

 

 

で、結局、変な夢や幻想なんぞ無い方が、現実に近いから楽なようにも感じる。

だからって、何もしないとか、何も挑戦しないってワケじゃなく...。

 

 

さて、私はスマホは持たない主義なので、いまだにガラケー

(どこまでガラケーだけで生き延びられるか実験中!)

そのケータイにある写真もPCにある写真も、犬とバラばっかり。

 

別に、バラの育種家を目指してたわけじゃないが、二十年くらい前突然に、漫画「キャンディ・キャンディ」に出てくるスイート・キャンディのようなバラを作りたくなって、一応挑戦したことが...。

しかしながら、物の本によると、新品種を作るには数十年かかるらしく、素人の思いつきでは当然ながら失敗続きで、数年で挫折。。。

 

その経験からすると、私はアンソニー派だったのかっ!

てっきりテリィ派だと思ってたのにーー。

で、♫わたしは〜わたしは〜わたしはキャンディー...だと。

そう言えば、あの頃の友達はアニー派だった。

今も全く理解不能だわ。

なぜ友達でいられたのか、あの時の友達のOちゃん。

 

一番大事な軸は、誰かに固有のものじゃああるまいし...

そこだけ抑えときゃ何でもいいっちゃ何でもいいと思うけど。