古の七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にあるらし
旅人を理解しようと思えば、この歌が最適か。
古の七賢は「竹林の七賢」、魏・晋の隠士たちの事。
魏・晋の時代は陰謀渦巻く動乱の時代で、そんな世の中をわざわざ酒に溺れて阿呆な真似をすることで、耐えた当時の知識人たち。
こういうお話は古今東西ありそうだが、万葉の時代の人である旅人は切実に感じ入るものがあったのではなかろうか。
「長屋王の変」(天平元年)というのが日本史の古代に出てくるが、私はこれを学校で習った記憶がないが、今はどうなんだろう?
具体的にいつだったか、私の記憶では定かではないが、長屋王の遺跡が出てきたと、ニュースで見て、ワクワクしたのを覚えている。
時代が古くなるほど、歴史は分からないことが多く、それゆえに一層面白いから。
この事件、ざっくり言えば、藤原不比等が亡くなった後、政権首班となった長屋王と不比等の息子たちとの権力闘争で、藤原氏によって仕組まれた政変劇の可能性が高く、結果として藤原氏が勝ち、この後も権力を増してゆくことになる。
長屋王と大伴氏がどこまで関係があったかは分からないが、由緒ある一族の一つである大伴氏、それも軍人貴族とあれば、不比等が亡くなってからも、その権力をほしいままにしたい藤原氏が警戒しない訳はない。
この長屋王の変の少し前から、旅人は言わば左遷され続け、その過程で妻も亡くし、都に帰ってきたのは亡くなる半年ほど前だった。
それでも帰ってこられたから、歌も残り、後の万葉集に繋がったのかも、と思う。
さて、旅人の歌で一番有名なのは、こちらか。
この世にし楽しくあらば来む世には虫にも鳥にも我はなりなむ
この時代、貴族の宗教と言えば、大乗仏教である。
興福寺の東金堂は神亀三年に聖武が元正の病気平癒を願って建てたものだが、その興福寺は藤原氏ゆかりの寺だ。
大乗仏教で外せないものの一つに、「大智度論」という有名な論書があるが、そこに、破戒して飲酒すれば畜生道に落ち、怒りが多ければ毒虫に、愚かならば虫や鳥に生まれ変わる、という説明がある。
知識人の旅人が、これらを念頭に置いて詠んでいないはずはなかろう。
かといって、旅人が藤原氏や天皇に対して何か反抗的な事をしたかと言えば、していない。
房前に対しては、逆に媚びるような贈答と贈歌をしている。
それだけに、一層、旅人の魂の叫びのような歌に感じられるのだ。
そして、こんな歌を見るとさらに...
賢しみと物言ふよりは酒飲みて酔ひ泣きするし優りたるらし
なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ
人間世界の醜さ恐ろしさを、嫌というほど経験した人の歌のように思えてくるのだ。
実際、旅人がそこまで大酒飲みだったかどうかは分からない。
ほんとに大酒ばかりくらっていたら、漢詩や歌を作ることは出来ないと思うが。
おそらくは、文学的誇張表現だろう。
さて、現代でも、ストレスから酒に溺れる例は多い。
女性の場合は、アルコールへの耐性が弱いからなのか、アル中になりやすいそうだ。
私は、アルコールもニコチンもコーヒーのカフェインも止めてしまったが、思えば、それらの中毒性のあるものの摂り過ぎの原因は、ストレスだった。
そのストレスを、全部取り除くことは出来ないにせよ、軽減することで、ドミノ倒し的に、酒もタバコもコーヒーも欲しくなくなってしまった。
正直、そんなに長生きしたいわけでもないのだが・・・
なぜか、どんどん健康的になっていってるなあ。。。
1999年には、死ぬと思ってたのに。。。(ノストラダムスのなんとやら)