38年前は

11月7日の天声人語に...

「バース、掛布、岡田の活躍を授業中に知りたい。中学の同級生たちは一計を案じた。教師にばれないように、胸のラジオからイヤホンを延ばして制服の袖を通し、ほおづえを装って中継を聞く。時々ピクリと体が動くのがわかった...今と違って日本シリーズは昼だった」

とあった。

 

そっか、午後からのデイゲームだったか。

 

85年の日本一が決まったのは、11月2日。

当時住んでいた関西のうちの地域は、朝は肌寒かったが、カラッとよく晴れたいいお天気だったな。

過去のカレンダーが見られるサイトを見ると、その日は土曜日。

当時は、半ドンの日だ。

だからか。

この第6試合は、学校の同学年の子たち、二十人くらいか、それ以上で見た記憶があるのだ。

学校終わりに、近所のファストフード店の2階か3階の、大きなテレビの置いてある所に行って野球観戦。

最初、私とその友達数人だったのに、知らぬうちに増えてた。

皆が皆阪神ファンじゃなかったが、もうこの試合は、阪神ファンと西武ファンだけのモンじゃなくなってた。

ある種、関西の「祭り」であった。

阪神が勝とうが負けようが、お祭りは皆で騒がなきゃならんからな。

で、初の日本一が確定したら、遅くまで皆で一緒に騒いでたっけ。

 

 

 

でも、おかしいな。

他の試合も見たような記憶があるんだが。。。

あとの試合は、一体どこで見たんだろう?

平日の学校は、どうしてたのか?

 

この年、たしか...Band AidLive Aid もあったんだよな。

(あれ?USAforAfrica だった? ちゃうよな。)

 

 

 

生きている間に、もうこんなイベントは二度とないかもしれない...

 

なんて思って、サボったりしてたんだろうか?

 

まだらに消えゆく若い頃の思い出。。。