そこで引用されていた中島らも氏の言葉が印象に残ったので、ここに記しておこう。
「不幸とは、夢中になれることから目をそらせて自分を不自然にたわめていくことの中にある」
まさにそうだと思う。
心、あるいは想いは、いつもどこかにフォーカスを当てたがる性質がある。
そして、ついつい不自然なまでに暗い方向へとフォーカスを当てがちに。
その「ついつい不自然なまでに」が、自然というか、本性に深く関わるというか。
時間の無駄でしか無いのだが、そうなりがちだ。
特に、老いてくると更にその傾向は強くなるなと、自分の老いから感じる。
そう言えば、子供の頃、身近な大人たちがそんな風で、向けるべき方向に意識を向けず、いつも過去の誰かのことばかり愚痴っていたのが、すごく嫌だった。
『あんな大人、年寄にはなりたくはない!』
と、強く思ったものだったが、大台の年の数を超えて、それまで感じなかったような体の不調を感じ始めた頃から「あんな大人、年寄」と同じようなことを...頭の中で旋回しだす。
たぶん、体が明らかに成長とは逆方向に向いて行っているのを切に実感すると、精神までが同じような向き方をしてしまうのではなかろうか。
『いずれにせよ、お迎えはそのうち来るのだし、体も曲がってくるのだろうし、わざわざ自分で不自然なまでにたわめてゆかなくても良いのだ。』と、たわめだしたら自分に言い聞かせないとな。