古くて新しい

日曜日のうたの日のお題「チューリップ」で思い出した。

往年のフォークソングを。

岡林信康の「チューリップのアップリケ」。

この曲を初めて聞いたのは、オリジナルじゃなくクラスメイトの鼻歌で。

私のティーンの頃には、一部でパンク・ロックが流行っていて、格好ばっかりのファションとしての、パンクロッカー気取りの人が大半だった中で、そうでない子もいて、そんな子が口ずさんでいたのが岡林の往年の名曲「チューリップのアップリケ」だった。

今から思えば、当時の高校生にしてはかなり渋い選曲だ。

あの頃、既にフォーク・ブームは下火になって、プロテストソングは日本ではあまり聞かなくなっていて、懐メロの部類に入っていたから。

 

私の頭の中であの曲は、岡林のオリジナルではなく、あのクラスメイトの歌声で再生されるけど、その意味内容はさほど意識してなかった。

今、ググって歌詞をよく読んでみると、岡林の新しさに改めて気付かされる。

あの歌の主人公は小さな女の子だ。

日本の差別問題が背景にあるけれど、そこで主たる視点が子供の、それも女性というのは、当時一部でウーマンリブ運動が盛んだったにせよ、斬新に映る。

60年代70年代に社会運動に携わっていた団塊世代の人の話を聞いたことがあるが、どれも男目線でしかなく、女性の口からも女性目線が薄いか無いのが多かった。

あくまで、男性の運動を支える補助としての女性でしかないのだ(この点、上野千鶴子氏も著書の中で指摘しておられた)。

そして、差別を訴える男性達には、女性の権利などまともに考えているふしが全く見えないのが通常で、己れがこと女性の問題については差別者側に立っているという自覚すら無いのだから、岡林の新しさに本当に気づけていた人は当時どれほどあったのか、と思う。

 

 

ところで、あの時代には「放送禁止」とか「出版禁止」とか言われるものが多かったが、実際は放送する側や出版する側の自粛がほとんどだったんじゃなかろうか。

実際に法廷で争われたものもあるけど。

売れていても行き過ぎた商業主義に抗議して「テレビに出ない」ミュージシャンも多かった。

物質的にかなり豊かになった80年代に入ると、随分様変わりした記憶があるが。

逆に、「商業主義で行きましょうや。世の中じぇにでっせ」が圧倒的になって行った。

 

60年代から70年代にかけて、単なる個人の欲求とか色恋をテーマにしたものではなく、社会問題を扱った作品を作っていたアーティスト達が多くいて、それを守ろうとする時代の雰囲気、風が世界にはあった。

そして80年代の洋楽ロック・ポップスシーンでは、以前とは形を変えてプロテスト・ソングは生き残った。(日本ではほぼほぼ絶滅に近かったが)

それが集団で現れた最初がバンド・エイドだった。(当時の個人的本音を言えば、歌詞に白人中心主義が拭えず残るのには納得行かなかったけど。。。)

BGLTへの理解が広まったのも、あの頃ではなかったか。

(いや、それ以上か。Q+についても既にあったような... 80年代に公開された「バーディー」という映画は、鳥に恋する男の話。)

 

 

古い話だけど、書き残しとかないとと思って書いた。

今じゃ、どこもかしこも「儲かりゃなんでもあり」みたいな時代で、それに芸術家たちも流されたおしまくりな状況だからさ。

最近『へ〜、やるやん。』と感心したのは、BTSだったな。

アジアの、それもお隣韓国からこういう若者が出るっていうのが、嬉しかったよ。

というか、こういう時代が来るとは想像してなかったな。

コロナ禍辺りから加速度的に時代が進んだ印象を受けるが、その反面、反動も大きく現れているのが気になりはする。

行きつ戻りつが浮世の常なのかもしれないが。