それはリベラルではない

今朝の朝日歌壇を見ていて、ふと思ったこと...

 

現代短歌の世界の方が、もしかすると古典の世界よりも、ジェンダー観強いのかもな、と。

古典の世界に出てくる女性は、内裏で働く女房が多いというのも違いを生む原因の一つなのかもな。

 

 

日本人が作る芸術作品に多いものと言えば、所謂「少女観」... 大昔のぶりっ子女とロリコン男が好みそうなの。

そして、「女性の権利・自由」をテーマにしているかに見えて、なぜか性に対する奔放さにすり替えられがちなの(単なるBi◯◯◯だろ、と思うが)。

こういうの好きな人がフェミニスト気取るのがフツーの日本なのは、私の子供の頃と変わらない。

 

さらに言えば、表向きはどうでも本音では、女と言えば、老若問わず政治社会に疎いのを良しとするか、そうでなければ、所謂安保闘争や学園紛争時代のデモに参加していたような若い女性像をいまだに抱えているか、そのどちらかのように感じられる。

で、そのどちらも、実際は男性社会に合わせたある種の演じるスタイルなのだけれども。

 

上野千鶴子さんは、後者に対して鋭い指摘を若い頃になされている。

保守は勿論、共産党系、社会党系に対しても容赦ない。

「いやはや、ごもっとも!これを整理してキチンと言ってくれる人欲しかったのよ!」と、二十代の頃の私は思ったものだ。

朝日の「be」では、時々人生相談コーナーを担当されている上野千鶴子さんだが、彼女の意識からは、とてもとても、いまだに遠〜い遠〜い朝日新聞だと思う。

アフロのあの女性記者が辞めたの、分かる気がする。

 

 

 

朝日新聞と言えば、脱原発路線で、一般的にはリベラルと評価されてるのかも知れないが。

 

しかし、実際は福島原発事故より前は、原発容認路線だったし、女性編集長も長らくいなかったし、天声人語に女性を登用したのは今年だったか去年だったか、ともかくついつい最近のハナシで、とてもとてもリベラルなんぞ、どの面さげて...と、私なんぞは正直、思ってしまうのである。

(だいたい原発事故の後、それまでの反省も大して無く、いけしゃーしゃーと「脱原発で環境派」みたいな態度を取れるのが、よく分からない。

それまで、なぜ推進派に回るしかなかったのか、そこにどこからどういう圧力があったのか、正直に述べたほうが、よほどこの先世の中のためになるし、ジャーナリズム精神にもかなうと思うがな。)

 

朝日新聞信者みたいなのが、意外に多っかったりするから、この辺で止めとこ。

 

わたしゃ右翼主義者でもなければ、橋下徹贔屓でもないが。

かと言って、読売贔屓な訳でも全然無い。

阪神教の信者なので、読売は死んでもとらん。(虎だけに)